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もくじ

現場で求められている「滑舌」レベルが外郎売りでは足りない理由。

 

皆さんが想像する「滑舌に求められている物」とはどのようなものだと想像しますでしょうか?
ムラーラの概念、というよりも私(宮島)の概念は、もしかしたらちょっと特殊かもしれません。
ですので、私のこの理論が「世の中の正論」だとは言い切れないのですが、ただ間違いなく、ここを究められると、「仕事につながる」ことは間違いないと感じています。
ナレーターさん、声優さん、特にナレーターさんは「商品やサービスのメッセンジャー」です。だからと言って、与えられた原稿をそつなく上手に読むだけでは仕事になかなかつながりません。

クライエントさんが求めるものは、「他の企業と差別化が出来る個性があり、実力も高いナレーターさん」であったり、「他の企業と差別化が出来る読みが出来、でもきちんと製品やサービスのイメージに合う」という理想を持っています。

外郎売りを呼んで、違和感のない滑舌が出来たとしても、その際に「滑舌を正しくやるために一生けん命読んでいる感」が残ってしまっている場合、案外それは素人さんにもバレてしまうものです。
逆の事を言いますと、滑舌が少し怪しくても、声の個性が際立っていて、ご自身にごまかせるだけの技量があれば、仕事を沢山受けられている方も沢山いらっしゃいます。

ごまかせる技術と、ごまかす際の声の質感が絶妙であれば、それは高い技術力と言えます。

私の生徒さんの中には、もうすでにこの域に達している方は多いです。ただ、そういう方が「もっと無敵の滑舌を習得したい」と言って来られます。
その際に、「実は舌や口の開け方だけの問題に限らず、発声こそが今までの滑舌の不具合を生んでいたのだと再確認する」という事があります。

「もしかして、自分は声の出し方を一から訂正した方が良いでしょうか?」という事を疑問に持たれたりします。

その一番の理由は「ご自身の不自然さ」にあります。言いにくい滑舌をいいやすくするために、自分で色々と改良されてきた事が、実は歪を生んでいる。そんなことに気づかれる感覚です。

そして一時的に治す際に反動で言いにくい時期が出てきてしまうのですが、そこを皆さん越えられると、新しい所にたどり着きます。
例えば、セリフでもナレーションでも、普段おとなしい話し方をする場合であれば、その発声でも間に合うけれど、張り上げなければならないキャラクターになった時、この滑舌の不具合、と言うのはあとから又大きな歪を生み出します。

滑舌を自己流でしたりすると、こういった不具合と最終的に向き合う事になります。
難しい所です。すらすらと上手に読むだけでは足りず、声を優先しすぎてもひずみが出る。ですから、どちらも両立が大切だと初めからわかっていて、「今はこちらを重視している」「今はこちらを重視している」と言う風に使い分けをしている自覚があれば、足りない方を補っていけますので。このブログの内容はとても重要です。

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